【笑う門には福来たる】
造り酒屋の友人から
松竹梅をあしらった飾り物が届いた。
松と竹と梅と赤い南天の実、
いずれも庭に自生しているものを材料にして、
ご主人が手作りされたとのこと。
家屋敷は広大な土地に建てられている
とは聞いていたが、
造り酒屋には、樽の材料にするために
必ず真竹の竹林があるのだ、
と電話口で聞いて仰天する私に、
「まったく、梅さんは何にも知らないのねっ。」
と逆に仰天され笑われた。
そう、私は本当に何も知らない。
東京育ちだと、
生活に根ざした当たり前の日本ならではの諸々を
何も知らない。
情けないほどに。
が、彼女は続けて
やはり仰天した様子でこうも言った、
「だけど、梅さんは、
私が知っている当たり前のことに、
すんごく感動するのね!
まるで子供みたいに!
なんか、私にまで梅さんの感動が
伝わってくるよ!」
って。
仰天が仰天を呼び、
仰天が幾重にも重なり合って、
二人でお腹の底から笑った。
ありのままの私を見てくれる友を
持っていることは幸いだ。
感動というものは、
感動しようとしてできるものではない。
みずみずしい感動は魂の深くまで届き、
ここに生きる醍醐味があると教えてくれる。
感動は命のエネルギーの元だ。
何も知らないという裏には、
感動できるという表もある。
子供のように、
腹の底から笑うのは至福だ。
「笑う門には福来る」
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